私は東京小石川区(今の文京区)で生まれた.

父は、幼い私をいろいろなところへ連れて行ってくれた.父は銀座が好きだったようだ.
この写真は日本橋か、数寄屋橋だったか.

洋服屋の父はおしゃれだったので、街頭写真によく寫された.

この頃はまだ、戦争はまだそれほどではなかったのだろう.

日本橋明子

幼心にも、夜中の空襲の記憶が残っている.
昭和19年、伯父のいる北海道の漁村(古平)へ妹と預けられた.

其の6ケ月後に私の住んだ家も4月13日の空襲で焼けてしまった.幸い私たち家族は命だけは無事だった.

空襲記録

焼ける前の小石川の家の前で(昭和16年ごろ).親戚の叔父さんと奥さん.
私たちは、「ビルマの叔父さん」と呼んでいた.ビルマで戦死した.

「ビルマのおじさんと

最初の写真は数寄屋橋だった可能性が強いが、

6年ほど前日本橋で撮ってもらった.
この頃はまだ、今ほど世の中がひどくなかった.

日本橋2003

70年続いた平和な生活がなんだか危うくなっている.
つつましい暮らしでも平和程よいものはないのに.
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nekonojimusyo.blog.fc2.com/tb.php/294-81419a0f