現在開催中の小樽文学館「河邨文一郎展」の一環として、5月21日「河邨文一郎詩文朗読会」が開催されました。

まず簪組(かんざしぐみ)のメンバー、宮野入恵美子(美しい背中)・山内紀子(セピアの風景)・田中瑞枝さん(浮浪児論)がエッセイを。そのあと詩を群読された。

河邨文一郎朗読会

腕白坊主だった頃の「セピアの風景」(山内さん朗読)は、昭和初期のやんちゃな中学生時代の「決闘」の様子が夏目漱石の「坊っちゃん」を彷彿させるような描写。悲しい話でもないのに涙が出てきたのはなぜなんだろう?
続いて熊谷ユリヤさんのハープ演奏と朗読(ユリアさんは河邨氏の作品を英訳もされている)。なんと歌も!多才なユリアさんである。それにつけても思い出すのは、詩は、翻訳に耐えうるものでなければならない、と言われたお言葉を大切にしている。

熊谷ゆりあSCN9658

河邨文一郎展のしおり。窓口で販売中。詩の弟子として末席を汚していた私には貴重なもの。

河邨文一郎しおりDSCN9670

その中で見つけた箇所。金子光晴の原稿を隠したと言う話は知っていたが、特高に目をつけられていた、検挙されたことは奥様も知らなかったと言われた。

河邨検挙DSCN9675

詩同人「核」の仲間。夏冬の「強化合宿・恐怖の詩合評会」が懐かしい。
またお正月には同人が招待された。
河邨邸前で。田上義也氏の設計で真ん中の門柱飾りフクロウ(砂沢ビッキ作・アイヌの神様コタンクルカムイ)は、只今小樽文学館に展示中。

核の会 お正月合宿 河邨邸前

今朝はさわやかな気分で目覚めた。今年一番のカッコウの声。いつもより4日早い(このあたりでは例年26日)。
窓を開けるといろいろな鳥の声。このままの平和が続きますように。
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4月15日(土)~6月11日(日)まで。
「詩人河邨文一郎生誕100年展」開催中。昨4月15日、オープニングイベントがありました。

河邨展ー

テープカット。真ん中河邨夫人、宣子さん。挨拶のスピーチで、万感胸に迫るものがおありだったのだろう。
思わず声を詰まらせるシーンもありました。

テープカットDSCN0350

同日開催された記念講演は、河邨文一郎氏主宰の詩誌「核」の同人であった萩原貢さんと暮尾淳さんが「河邨文一郎氏の人と芸術」としてお話になった。「人と芸術」というタイトルだが「人」としてのエピソードのほうが多かった。

なにしろ暖かくおおようなお人柄だった。映画会社からスカウトされた話、金子光晴との師弟関係、交友など微笑ましいエピソードがいっぱい。

萩原貢氏講演DSCN0356

興味津々の資料がたくさんの会場。子供の頃からの(!)手書きの本などもよく保存されていたものと感心する。

展示会場DSCN0354

河邨文一郎といっても若い人は知らないが札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」の作詞者といえば通じる。トアエモアが歌ったのがオリジナルだが、いろいろな歌手が歌って45回転のレコードが何枚も展示されている。

奥様も「こんなに出ていたとは知りませんでした」

会場DSCN0353

かく言うこのブログ管理者の私は、氏の主宰する同人誌「核」の仲間としてお世話になっていました。

毎年1月と8月には「核の恐怖の合宿」がありました。詩作品の合評会のことをこう呼んでいました。歯に衣を着せぬ鋭い合評会。
若輩私は、隅のほうで震えておりました。
でもそれさえやりすごせば、あとは楽しい交流の場。深夜まで飲んだり論じたり。

小樽でも何度か合宿がありました。写真の裏に1971年5月16日・撮影木村哲郎氏と書き込みあります。
早川昇氏・佐々木逸郎氏・小松瑛子氏 皆故人です。

鰊御殿

祝津の今の迎賓館・もとペンション祝津前で。「月刊おたる」元社長、米谷祐司氏も同人。

ペンション祝津

海猫屋前で。

海猫屋

整形外科医としても辣腕。
その美形ゆえ、松竹からスカウトされたという。手術のシーンでは手だけ出演したというエピソードも語り草。

5月21日(日) 14時からは、札幌の朗読グループ「簪(かんざし)組」・熊谷ユリアさん他の出演による河邨氏の詩とエッセイの朗読会があります。入場料のみで聴くことができます。

オープニングに参加された簪組の皆さま。何を読もうかと只今模索中。

簪組DSCN0351

小樽文学館
小樽の当時双葉高校、緑陵高校で音楽教師をされていた増田又喜先生から『敗戦直後の音楽学生』という青春時代の自伝を頂戴した。今年92歳。しばらく音沙汰がなかったので(というよりこちらから便りをしないでいた)、どうしていられるか、と思っていたがお元気なのだ。一晩で読んでしまった(実は社会に出てすぐ、私は増田先生が指導する「水曜会」という合唱サークルに入れていただいた)。
この本では、戦中戦後の、主として、戦後混乱期の音楽生活に即した自伝であるが、当時の生活とご一家の不幸についても書かれている。ユーモラスな語り口の中に、戦争のばかばかしさ、無意味さが伝わる。ご自分のことを余り話さなかった。このような悲劇を抱えていられるとは。ご両親、お兄さん、妹さんは「満州国第五次黒台開拓団」として移住されたが、敗戦後1年経て、悲しい結果を知る事になる。なんとも痛ましい限りである。

そんな陰りを感じさせない朗らかな先生だった。

増田又喜先生著書DSCN0195

また、増田先生は、小樽の運河保存運動に関わられ、事務局長でいられた時期もある。アイヌの歌の研究と収集などもしておられた。
下の写真は掛川源一郎さんの撮影写真。真ん中増田先生。後ろ姿の帽子が若き日の私。<1980年7月>と、掛川さんの直筆で書かれている。掛川氏の個展の折、写っている人には下さったのだ。

掛川源一郎運河写真

3枚目 水曜会のピクニック。野原で練習した。よき時代!

水曜会ピクニック

職場のコーラスも盛んだった新入社員は自動的に(?)コーラス部に入ることに決まっていた(?)。最近のように人間を文化系、体育系などに分けたりせず(少なくても私の職場では)、野球部の部員もコーラス部に入っていた。うたごえ運動が盛んなころ、昼休み、会議室にオルガンがあって、そこで練習をした。労働歌やロシア民謡も響いたが、<上>から注意されるとうことはなかったよき時代。スマートフォンもパソコンもなかったアナグロで娯楽の種類が少なかった時代。


テレビをつけたら「プロファイラー」でエディット・ピアフを特集していました。

1部を除いてほとんど、実写の映像ばかりなのに驚き!
有名になってからは、専属のカメラマンがいたのだそうです。

ピアフDSCN8275

後進を育てて皆一流の歌手にしたことでも有名。とにかく私利私欲のない人のようだったが、本人は不運が続いた。
最後の恋人。親子ほどに年が違ったが純愛で結ばれていた、と思われる。

テオ・サラボ8296

ステージでもピアフを演じた大竹しのぶさん。近く再演するという。見たい!
見終わって涙ぐんでいられた。

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40代の初め、シャンソンの好きな従姉とパリを訪問した。
移民が多く住むパリ20区のエディット・ピアフの生家を訪問。たいへん苦労して探し当てた。
ピアフ生家 1

右上にこんなプレートがありましたので、ここだとわかりました。

ピアフ生家プレーロ 1

その後(20年くらい前)、版画家の森ヒロコさんの個展がパリで開催。この時とばかりくっついてゆきました。
滞在していた家の近くにペール・ラシューズ墓地がありました。
イヴ・モンタンとピアフのお墓にお詣りしました。
ピアフのお墓は、モンタンよりも花が多かったです。

piaf 墓1

墓に彫られた名前はエディット・ピアフではなくて、本名のカシオン・ピアフ。一族の名の中にテオ・サラボの名前も彫られていました。

ピアフ墓ヒロコさん

パリ4区とゴッホが最期を迎えたオーベール・シュル・オワーズで版画展を開いた森ヒロコさん。
6月16日付で発行された佐藤国男さんの新刊が届きました.
「誰も書かなかった縄文土器・土偶のおそるべき図解分析」とあります.
佐藤さんは中学1年生のころから、先生と一緒に土器の発掘をし、またそれに楽しみを見出し、古代に思いを馳せて土器に魅せられ
それがこのご本として、私説を発表することになったのです.土器に特に興味をもたない私でも面白くて読み続けています.

亀ヶ岡遺蹟著書DSCN5970

賢治の童話に版画の挿絵.
.木版画と賢治の童話はぴったりです.
賢治の絵本はいろいろ集めていますが、いっとう気に入っっています.

佐藤国男賢治童話集

版画が挿入されたエッセイ集.

暖かくてすっとぼけたユーモアがあってやさしい(もちろん猫も大好きな佐藤さん)人柄がしのばれます.読み応えがあります.驚くべき世界の広さ!
面白くて深夜まで読みふける.

山猫博士のひとりごとDSCN5969

著書は販売しております.皆さまのおいでをお待ちしております.